プロフィール

はじめまして
私も周りも輝ける【わたしファースト】

カウンセラーの晴田芽衣です。


・子育てと仕事の両立に疲れてしまった
・家族や職場の人間関係で心がすり減っている
・頑張っているのに、なぜか生きづらい

そんな方の心を整えるサポートをしています。

私はこれまで、営業職として20年以上働き、

2万人以上の方々と出会い、対話を重ねてきました。


しかし、一見順調に見えるキャリアの裏側で
私は何度も心と体の限界を経験してきました。

適応障害による休職
・自信の持てない自分
人間関係の悩み
・子育ての不安


「もう動けない」
そう思うほど苦しかった時期もあります。

それでも、その経験があったからこそ
今は心から思っています。


「同じように悩んでいる人の力になりたい」

このページでは、
少し長くなりますが、私のこれまでの人生をお話させてください。

もし今、悩みの中にいる方が読んでくださっているなら
何か小さなヒントになれば嬉しいです。

「お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ」自分ひとりで背負っていた 子どもの頃

私は幼い頃から、よく泣く子どもでした。

一方で長女だったこともあり

「しっかりしなければいけない」

「早く大人になりたい」

という思いを、幼いながらに強く持っていました。

幼稚園の頃から
「早くここから抜け出したい」
「早く大人になりたい」

そんなことを思っていた記憶があります。

また、容姿のことでからかわれることもあり、
小さな頃からどこか自分に自信が持てない気持ちを抱えていました。

容姿でいじめられて苦しかった学生時代

小学生の頃も、よく泣く子でした。

小学3年生のとき、
弟が3人いる4人兄弟の長女になり、
「自分がしっかりしなければ」という思いはさらに強くなりました。

今考えるとHSP気質もあったため場の雰囲気を必要以上に感じ取ってしまい、悪口が聞こえてくることもありました。

「ブサイクすぎるでしょ」

「あいつと同じグループなんて最悪」

その後、中学卒業までこれは続き、大人になってからもその悪口がずっと頭の中に自分を苦しめ続けていました。

中学生の頃は、
厳しいバレーボール部に所属し忍耐力も身に着けました。

一方で、容姿へのコンプレックスは続き、
1か月に1,2回、頭痛がして微熱が出る、

激しい運動をすると出る喘息発作、

起き上がれないほどの生理痛など

体調不良から、ストレスを感じることも増えていきました。

「なんで私はこんなに容姿にも恵まれてないし、

身体が弱いんだろう、生きてる意味なんてないのかな」

何か辛いことが起こる度に、

ずっとそんなことを考えていました。

受験に失敗し、私立の女子高校へ進学しました。

接客のアルバイトを通して、
人と話すこと・コミュニケーションをとることが好き
という自分の強みに気づきました。

女子大に進学し、アルバイトに力を入れていました。

クレジットカードの勧誘アルバイトがきっかけで

「営業職で働きたい」と強く思うようになりました。

また、
「人の役に立つ仕事がしたい」という思いから
製薬業界を志望するようになりました。

体調を壊しがちで、看護師や薬剤師になりたいと思っていた時期もあり、

それも志望の理由の一つになったかと思います。

「もう限界」
2回の適応障害で
退職と休職を経験

製薬業界の営業職を目指して
就職活動をしましたが、
最終面接で落ちることが続きました。

最終的には、製薬会社に就職しましたが、
毎日早朝から終電まで働く生活の中で
体と心が限界を迎えます。

過呼吸
不眠
震え

営業活動後、営業所に戻ったタイミングで息が苦しくなり、

そのまま倒れ、救急車で運ばれたこともありました。

それでも「頑張らなければ」と

身体に鞭を打ち続けていましたが、

ある朝、

起き上がれない

身体が動かない
そのまま、フラフラの身体でなんとか通院をし

適応障害と診断されました。

当時は休職も選択肢としてはあまりなく、

退職することになりました。

その後1か月ほど休み、転職をし、再び営業として働き始めました。

多くの経営者の方や役員、管理職の方と

お話しする機会もあり、

東京転勤で初めての一人暮らしをすることになり、

多くの経験もできました。

一方、2社目は社長が父親、娘が次期社長候補という

複雑な職場環境。

特に娘が私と同級生だったため、常に

「うちの娘はきれいだし、仕事もできる、一方晴田は。。。」

と、社長からの娘との比較。

またプライベートでは、大好きだった彼との別れ。

別れた後も、新しい人と付き合ってもずっと忘れられず

一人泣き続ける夜が数年も続きました。

当時、サッカーワールドカップが盛り上がっていましたが、

今まで興味があったサッカーの試合を見たいと思わない、

夜もなかなか寝付けない日々、

ある日、営業中に息が苦しくなり、

また身体に力が入らなくなりました。

そのまま動けなくなり、ふらふらの身体でなんとか

病院にたどり着きます。

そして、2度目の適応障害の診断をされます。

家に戻り、身体を休ませましたが、
呼吸が苦しく眠ることもできません。

身体に力が入らず、べッドから動くことができない、
立つことができないため、家の中を這いずりながら

過ごしました。

そのまま休職をし、動けない私を助けるため

母親が上京してくれ、そのまま実家に戻ることになります。

実家に戻っても2,3か月はしばらくは歩くこともできず、外に出ることすらできない日々でした。

ベッドの中で比較的、体調の良い時に、

私はたくさんの本を読みました。

健康
自己啓発
人生哲学

その中で強く感じたのは

「心と体はつながっている」ということでした。

この頃から、心のあり方や健康について強く興味を持つようになります。

一方、通院をしていた病院の先生からは

「今後、フルタイムで働くことは難しいかもしれない」

「子どもを持つことは難しいかもしれない」

そんな言葉ももらっていましたが、

この時は息が苦しく眠ることもできない日々を経験し

「生きているだけでありがたい」

という気持ちが大きくなっていたため、

悲しみもありましたが、それ以上に動ける喜びを

感じていました。

リハビリを兼ねて外出することも増え、

友人が主催するパーティーで夫と出会い、

今の私の体調を全て受け止めてくれる夫の心の広さに

感動をし、わずか出会ってから3か月で婚約。

出会って1年で入籍をし、幸せな結婚生活がスタート

しました。

仕事、母親に全力で向きあった日々
「このまま消えてしまいたい」

結婚後、専業主婦をしていた時期もありましたが、

「誰かの役に立ちたい」
「感謝される仕事がしたい」

という思いから、
再び営業職として働き始めました。

仕事はとても忙しいものでしたが、やればやるほど
成績も上がる、自分の存在を認められたような気がして
仕事に没頭していきました。

不妊治療を1年間経験し、

精神的にしんどくなって辞めた後、
ようやく息子を授かりました。

待望の子どもの誕生、生まれた時に

「産まれてきてくれて本当にありがとう。
一生大切に育てるね」
と心に誓いました。
その後、育休復帰後、1年でマネージャーに昇進し
子育てをしながら管理職として働くようになりました。

忙しい仕事の中でしたが、家事も手抜きをしたくないので、
週末に息子の分と大人の分の食事を1週間分まとめて作り、
必死で毎日を回していました。

保育園の間、息子に寂しい思いをさせている思いがあったので
寝る前には毎日読み聞かせ、
「○○大好きだよ」と
ぎゅっと息子を抱きしめてから寝ることを習慣にし

育児も仕事も全力でこなしていきました。

しかし、

部下
会社
家庭

そのすべての間で板挟みになり
心がすり減っていく日々でした。

「もうこのまま倒れてしまって楽になりたいな」
そんなことも思うほど、精神的にも体力的にも過酷な日々でした。

子どものお迎えをしながら
携帯片手に、メンバー3人分の仕事をこなすこともありました。

「管理職なんだから当たり前でしょ」

そんな言葉に
一人で耐え続けていました。

夫婦関係のすれ違い、離婚宣告
「なんで私ばかり

ある日、知らない番号から着信がはいりました。

「児童相談所です。通報が入りまして」

息子はよく泣く子ども、
私も声が大きいこともあるのかな

電話口では冷静に伝えたものの

常に周りからそのような目で監視されてるような気がして
大きなショックを受けました。

それから2,3週間経過した日、
仕事の後、晩御飯を息子にあげている時に
インターホンが鳴りました。

「はーい」と出ると
「児童相談所です。また通報が入りまして。」
恐る恐る、ドアを開けると
「ルールで家の中には入らないといけないので」
と家の中に入られました。

夜ごはんを食べてながら突然の来客に驚く
息子の表情、目を見た瞬間に児童相談員の方は
「愛情もって接してますね。
逆に周囲からの嫌がらせで嫌なことがあったら
言って下さい」
そのまま帰っていきました。

その言葉に安心を覚えたのも束の間、
また仕事の後、息子をお風呂に入らせようとした時に
インターホンがなりました。
「警察です、通報が入りまして」
今度は警察官が3名、やさしそうな方ではあったのものの、家にも入られ、

息子も物々しい雰囲気に不安な表情をしていました。
警察の方には、近所から嫌がらせがある可能性を話し、
最後に警察に方には
「逆に訴えることもあるので、何かあれば相談下さいね」
と言って、帰っていきました。

それからは声の大きい私はまた通報されるのではと
怖くなり、シャッターを閉め、窓を開けなくなりました。

夫には
「不安だし、ショックで近所がこわい、
なるべく夜も早く帰ってきてほしい」と
話しましたが、
「泣き声もすごいし、芽衣が声も大きいから
そう思われても仕方ないんじゃない!?」
夫に受け入れてもらえなかった、このことがきっかけで
夫婦の関係が大きく変わった気がします。

その後も仕事と育児中心の生活が続きました。
夫も仕事が遅く、飲み会で朝帰りも頻繁にある状況でした。

夜中、連絡が繋がらなくなり、朝、息子の送りを
お願いしてるにも関わらず、すっぽかされることも
ある日々。
また夫は平日休みの仕事のため、土日は私が一人で
息子を見る。
公園で親子3人で楽しく遊んでいる親子を見る度に、
「親子3人ですごしたいな。」
そんな気持ちを募らせていました。

義両親からも

「私たちはできる限りのことをするので

私たちを本当の親だと思って甘えて。

思う存分、仕事をして」

と言われていたのでその言葉も鵜吞みにし、
息子のお迎えなどお願いすることも続きました。

夫の朝帰りのことも相談しましたが
「それぐらい許してあげて」と
夫に注意をしてくれることもなく、
私は孤独とストレスが日々膨らみ、

夫にもきつい言葉をかける機会が増えていきました。

そんな生活の中で、息子が5歳になる頃、

「この生活だと家族でいる意味がない」

「私が管理職を降りて家族中心の生活をした方が良いのか」

そんな思いが出てきました。

夫に

「話し合いの時間がほしい」

「誕生日はこどもを預けて二人で話したい」

など、何度も話し合いの時間を設けようとしました。

が、夫からは断られる日々。

そんな中、10年目の結婚記念日にようやく

夫が一緒に過ごそうと言ってくれます。

私は関係を修復したかったので、夫の好きな食べ物や

シャンパンなど買い込み、用意をしました。

乾杯の後、夫から告げられたのは

「一緒にいる意味がない、

芽衣はマネージャーもして、一人でもやっていけるから、

実家に帰って息子を育ててほしい。

離婚しよう

と記入済みの離婚届けを出されました。

そのまま、泣き崩れ、感情任せに離婚届を破りました。

その後のことはショックすぎて、今でもよく覚えていません。

その後、頼りにしていた義両親の家に行き、

「私も悪かったこと、息子のためにやり直したい」
ことを覚悟を持って、話に行きました。

「私たちも孫のために説得をする」とは言ってくれましたが、

夫の揺るがない気持ちに、私と私の両親に

離婚をするよう強制してくるようになります。

私の両親宛に、夫が義母にこれまで話していた結婚生活私の嫌だった出来事がぎっしり殴り書きされたレポート用紙7枚分の手紙を送られました。

母は私が傷つくことを恐れ、手紙が送られてきたことを
黙っていましたが、
感情的になった義母が
「手紙のこと聞いてないの?」
と私に直接話してきました。
手紙を見せられた時、私の心は大きく傷つきました。

その間、夫は一方的に荷物をまとめ、実家に帰り、

「一旦は、平日は実家で息子を両親と育てる。
週末に息子を連れてくるから、週末は息子と過ごして。」
と言われました。

そんな生活から2週間経過した頃、週末、帰ってきた息子は

夜中に寝たまま泣き叫ぶ

義実家に戻りたくないと帰るときは泣く

そんな息子を見てられなくなり、

これまでは義両親のサポートが不可欠だった仕事内容のまま

息子を一人でみると義両親、夫に伝えました。

絶望の中、私が夫婦関係の修復などを色々探し
最終的に行き着いたのものが、夫婦カウンセリング

予約をし、私とカウンセラー、夫とカウンセラー、

その後、3者でカウンセリングを受けました。

3者カウンセリングの際、カウンセラーの方が夫に向けて言った言葉

「あなたは5歳の子供じゃないの。5歳の子の父親なの。

親としての自覚を持ちなさい」
カウンセラーの言葉も夫の気持ちを揺るがすことは

できませんでした。

「第3者的な方と話をすれば夫も変わるかもしれない」
そんな期待をしてのカウンセリングではありましたが
夫への効果はありませんでした。

その後、私は苦しさの中で「もう生きていけない」
そんな気持ちの中で
再度カウセリングの予約をしました。

カウンセリングの中で
「あなたはこれまでよくやってきた。
あなたの夫の話も聞いてきたけど、
マザコンでアスベルガー傾向あるから、
あなたは悪くなかった。

だから自分を責めるのは止めなさい。
もうさっさと別れて他の方、見つけなさい」

この言葉で

「私が仕事ばっかりしてたから息子から

父親を奪ってしまった」

と責めてた気持ちが少し癒されました。

その後、息子の保育園の卒園式、小学校の入学式など
夫に「息子のために来てほしい」と頼みましたが
「離婚するまでは参加しない」と言われ、
息子に寂しい思いをさせながらも
籍は入れたまま4年間、管理職をしながら息子を一人で育てています。

発達特性のある子どもの子育て
自分責めの日々

少し手がかかる子だなーと思ってはいたものの、
保育園までは何も言われず、小学3年生になる直前で
息子には発達特性があることが分かります。

息子の発達特性がわかるまでの間、学校には
「愛情をもって接してない」
のような態度、言葉もかけられ、更に悪循環

また5歳の家庭の危機から、自分の意向に反して、
一人で息子を育てることになってしまったこと、
それが息子のメンタルに影響を与えてしまって
こうなってしまったのではないかと
自分を責め続ける日が続きました。

そして、自身で色々調べ、スクールカウンセラーとの
出会いもあり、息子の発達特性に
気づくことができました 。

心理学
発達障害
コミュニケーション

についても、本やSNSで学び続けました。

実践しながら試行錯誤を繰り返し、
少しずつ息子も成長していきました。
一方、
手をかけなけれないけない
発達特性のある子どもの子育て
管理職としての葛藤

NOと言えずに、仕事が自分にどんどん集中する
多忙な日々に、心が限界を迎え、
仕事中に涙が自然に流れる日々。


「このままこの会社でやっていけるのか」
転職活動を始めるも、経歴だけ見ればバリキャリと見られる私ですが、

管理職っぽくないキャラの私。
オファーはきますが、面談でうまくいかず、さらに落ち込む日々。
一旦、転職活動をストップして
まずは自分の心を整えようとした時に、
あるカウンセラーとの出会いがありました。

そのカウンセリングを受けたとき、
長年感じていた

生きづらさ
心のモヤモヤ

が一気に軽くなったのです。

また、これまで自己犠牲してきた生き方も変わり、

息子との関係はもちろん、職場での人間関係も
好循環が回り始めました。

不器用、HSP気質
だからこそ
あなたの気持ちに寄り添いたい

私は決して器用なタイプではありません。

むしろ、
遠回りしながら
失敗しながら
少しずつ道を開いてきたタイプです。

だからこそ、

・人の痛みが分かる
・人の気持ちに敏感
・共感する力

この力を自然と身につけてきました。

マネージャーとしての仕事でも
共感と承認を軸にしたマネジメントを大切にしてきました。

また、長年のコンプレックスを乗り越えるために
健康

美容
インテリア

など、自分の感性も磨いてきました。

カウンセラーとしての使命
「この経験を伝えたい」

私は20代の頃から
「いつか起業したい」という思いを持っていました。

女性起業家のスクールに通ったこともあります。

でも、

「何で起業するのか」

それがずっと分からず、
行動できずにいました。

ですが、今は私の人生の岐路で助けてもらった
二人のカウンセラーとの経験を通じ、

「この経験を、もっと多くの人に届けたい」

そんな使命感をもっています。

最後に

私の人生は
決して平坦ではありませんでした。

むしろ、たくさん遠回りをしてきました。
ですが、今はすべての経験が

今の私につながっていると感じています。


私は
「わたしファースト」
という考え方を大切にしています。

まずは
自分の心を大切にすること。

それだけで
人生は少しずつ変わっていきます。


もし今

・人生をやり直したい
・自分を変えたい
・生きやすくなりたい


そう思っているなら
その一歩を一緒に歩めたら嬉しいです。

あなたの人生が少しでも軽く、
前に進めるものになるように。

心を込めてサポートさせていただきます。

ー女性の幸せー
私らしく生きられる未来を、あなたと一緒に育てていきます。